嫌いなひと
2限が終わり、梨華たちがいる方を見た。
今朝の出来事を思い出す。
「智美、宿題に出てたプリント見せてくれない?昨日いろいろ大変でさ~。ね、いいよね?」
なんとなく嫌だったが、さっと鞄からプリントを出して渡した。
朝から作り笑いをするのはなかなかエネルギーがいらうなと思いながら。
「ほんとさすがだわ、ありがと~!」
と言っていつも一緒にいる子たちの方に帰っていく。
きっとあの子たちとも答えをシェアするんだろう。
梨華はとても気立てがよく、容姿も学科の中では可愛い方で、たぶんモテる。
服やメイクは流行りのもので、それがきちんと似合っていた。
誰からも好かれるタイプ。
いや、私は好きじゃないから、誰からもというわけではないか。前言撤回。
視線を落とした先の履き心地がいいスニーカーは、だいぶ汚れてきていた。
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3限は空きコマだったため、私はいつものようにあの店に向かった。
大学から歩いて10分ほどのところにある、小さなコーヒー屋。
ここは駅から遠く、大学の目の前にはわりとたくさんのお店が並んでいたので、この時間にここまでわざわざ来るような同じ大学生は見たことがなかった。
さっさと明日の予習を終らせてしまおう。
辞書をパラパラとめくりながら、せっせと進めていく。
一時間ほど経ったころだろうか、からんから…カランとぎこちないリズムでドアのベルが鳴った。
辞書をいったん閉じ、頼んだあずきミルクを口に運ぶ。
「あれ? 智美?」
嫌な予感。作り笑いをうかべる準備を性急に整え、振り返った。
「え!梨華じゃん。珍しいね」
予感的中。最悪だ。
「なんか、散歩してたらさ。かわいい店だなあと思って。ここ私も座って良い?」
まったく作り笑いとは思えないその表情で言われたら、嫌だと言えなかった。
「いつもここ来るの?なににしようかな~。智美が飲んでるの、それなに」
「あずきミルクだよ、あったかいやつ」
はあ。ぎこちなくならないように、笑顔がひきつらないように、不自然な間ができないように。
体が引き締まる。
「へー、なんか不思議なもの飲んでるね。私もそれにしようかな」
こういうところが嫌いだ。なんかこう、こちらの嫌な感情には目もくれず、ちゃんと合わせようとしてくるかんじ。
もっとわがままで、私みたいなのと壁をつくりたがるようなあからさまな人だったら、嫌いって私が言っても誰も文句は言わないだろう。
こうやって屈託な笑顔を向ける彼女に私が嫌いなんていったら、私は一気に悪者じゃないか。
何を話そう…。困る。
そういえば、こうやって2人きりで話すのは1年生のときの4月以来だ。そのときから、なんとなく合わないと思って距離をおいていた。
私が焦るのとは裏腹に、彼女はゆっくりとお冷やを飲む。
「私ね」と、梨華はリラックスして背もたれによりかかった。
「ほんとは智美ともっと話してみたかったんだよね」
…いや、そんなことないでしょ。
あなたと私は全然違うんだから。話したって大して面白いはずもない。
でもそんなこと、言えるわけがなかった。
私はなんとか笑って「そうなんだ」と言い、あとは黙って次の言葉を待つことにした。
「智美って、私のこと嫌いでしょ」
あまりに意外な言葉に私は次に返す言葉を見失った。
そんなことないよと言いたいが、うまく口が回らない。こういうときって、どうやって嘘をつくんだっけ。
こんなときに限って頭がまわらない。きっと今日は朝からエネルギーを使いすぎたんだ。
ああ、こんなに間が空いたらバレてしまう。
急げ自分、そんなことないよって、いつもの作り笑いをすればいいんだよ。
それだけなのに。口がこわばって動かない。
「はあ、やっぱり。どうして?」
「いや、なんかわかんないけど…好きじゃない」
えええええ。言っちゃったよ、え。今自分ナニヲイッタノ?
「ふーん。まあ、私はなんとなくわかるけどね。智美、今日私がプリント見せてって言ったとき、嫌だなって思ったでしょ」
図星だ。混乱する。私の作り笑いってそんなにわかりやすいの?ばれてたの?終わった…
「あと、私が着てる服とか、メイクとか、周りにいる友達のかんじとか。気に入らないんでしょ」
もう降参だ。
ここで、「いや、全部はずれだよ。そんなことないよ」と笑ったって、あまりにも嘘すぎる。
「やっぱりか…なんかショックだな。自分で言っといてあれなんだけど、否定してほしかった」
そういってまた屈託のない笑みを浮かべる。
人に嫌われてると知って、まだそんな笑みが浮かぶのか。
わからない。計り知れない。怖い。
「ごめん」
絞り出してやっとでてきたのが、たったこれだけ。
私ってこんなに人としゃべるの苦手だったっけ。
「いいよ。誰にでもそういう人はいるよ。ちょっと悲しいけど」
「お待たせしました~」と店員さんがあずきミルクを運んできた。
梨華は一口のみ、目をまんまるくして、おいしい!と言った。
ほんとにおいしそうだ。きっとこの人は私みたいにこそこそと嘘をついたりしないんだろう。
ますます嫌いだと思った。
「私もね」
湯気の立つカップを持ちながら梨華が言う。
「高校のときね、嫌いだったの。今の私みたいな子。智美を見ると、昔の私に似てるなって思う。」
「なんで?梨華もこんなだったの?」
「うん。でもね、だんだん気づいたの。私、あの子が羨ましかったんだって。私が絶対やらない、絶対だめだって思うことを、かるーくやってしまうのね。たとえば、男の気をあからさまに引くようなことするとか。」
そのときの梨華のいかにも「腹が立っている」顔がちょっとおかしくて、くすっと笑ってしまった。
「それは嫌だね」
「でしょー!でもさ、こんなこと言うとまた私のこと嫌いになるかもしれないんだけど、そんなことも含めて、私、羨ましかったんだって。制限をかけずに、人から嫌われちゃうようなことやるあの子が、自由にみえて。それに気づいたときは、えーーー、心底嫌だって思ってたあいつのこと、羨ましいから、自分ができないことしてるからこんなに嫌いなんだって、恥ずかしくなっちゃったよ。嫌いなあいつと私が同じものでできてるなんてね。最初は信じたくなかったけど。でも、なんかそこからいろいろふっきれちゃって。」
「あいつ、ね」と、私は笑った。
これは嘘の方じゃなく、ほんとの方の笑った顔。
「そ。私けっこう心の中では汚い言葉がでるの。嫌なやつなの。嫌われたくないから、そういうのあんまり出さないけど」
私はあと少し残っていたあずきミルクを飲み干した。
「知ってる。それじゃあ今は、男の気をあからさまにひいてるってこと?」
ちょっとふざけて言ってみる。冗談がいえるなんて、最初の私からは想像もつかなかった。
「はははっ、それはしないよ。女子に嫌われたくないからね。でも、そういう人を見ても、あんまり嫌じゃなくなった。自分も同じだってわかったからね。」
梨華はカップを皿に置き、スプーンでかきまぜながら言った。
「人ってさ、自分もほんとはそうしたい!とか羨ましい!ってことをやってる人を見ると、嫌いだなって思ったり、なんとなく腹が立ったりするんだなって。だって、ほんとに気にならなくって、自分に関係ない人だったらなんにも思わないでしょ。幼稚園の頃いなかった?おもちゃ片付けてって先生に言われて、自分は片付けてるのに片付けてない子がいると、その子のとこに行って、かたづけてよ!!って怒ったり、場合によっては叩いたりケンカしたりしちゃう子」
「わかんないなあ、そんな前のこと」
「まあそれもそうだよね。私、一番下の弟とけっこう離れてて、弟迎えに行ったときにそういう子がいたんだよね。たぶん、自分が我慢してるのに、なんでお前は我慢しないんだずるいぞってことなんだよね。あれはなかなかはっとさせられたなあ。あ、時間大丈夫?4限ある?」
そうだった。もうそんな時間か。
いつのまにか、いかにうまく取り繕うか考えずとも夢中になっている自分がいた。
梨華は4限がないからそのまま残ると言ったので、私はひとりで店を出た。
歩きながら、梨華との会話をもう一度、頭の中で繰り返す。
言われてみれば、たしかにそうだ。
私が梨華のことが嫌いな理由を思い浮かべる。
流行りの服やメイクが似合うこと、誰にでも正直に接すること、簡単に人に頼みごとをすること、気立てがよくて好かれること、私みたいに作り笑いをしないこと。
なあんだ。私、梨華みたいになりたかったんだ。
4限に向かう。午後のきいろい光が温かい。
いつもは眠い午後の授業の時間。
目覚めの良い朝のようにすっきりしていた。
※このお話はフィクションです※
毒をほおばる日々
お昼は中華。
美味しかったんだけど食べきれず、残りをKくんにたべてもらった。
食べられる量が減った。
一年前くらいから、だんだんと満腹だと感じる量の基準が下がってきた。
これは運動量が減ったからという単純な理由ではないと私は知っている。
たしかに、高校のときは部活漬けの日々を送っていて、ひとつの授業が終わるごとにパンやおにぎりをたべていた。
一日中食べていたのだ。
そして、それは大学に入ってからもやや長引き、一日中食べるわけではないが、たくさん食べないと気がすまなかった。
なんとなくお腹が空いている気がしたし、実際お腹に入れたら入れようとした分入るし。
食べたあとはものすごく胃がふくらんで、妊婦さんのようにあばらの下あたりからぼーんとふくらむような形。
スカートなんかをはいているととてもきつくなった。
チャックをあけてもふくらんだお腹で下がらないスカート。
今考えたらおかしい。
でも、小さな世界にいると、おかしいことに気づけないときもある。
ーーーーーーーーーー
私は、本当に食べたくて食べていたのだろうか?
味がなんとなく一定以上で、量がたくさんあるお得なものだったらなんでもよかった。
振り返ると、私は、満たされない思い、自分自身にわかってほしかった・気づいてほしかったことをあえて隠すために、たくさん食べていた面もあるような気がする。
なんとなく薄々感じてはいるけど、感じたくない、認識したくないってことをたくさん抱えて、自分をごまかしごまかし…
本当は、やりたいことはこれじゃない。
→でもやるべきことは違うことだから、やらなきゃ。やりたいことをやったら、今みたいに評価してもらえなくなる。
この人のこと、ほんとは嫌いなの。一緒にいたくないの。
→あなたが嫌いっていったら、一気にいろんな人間関係がおかしくなるよ。それに、人を嫌いっていうことはだめなこと。
本当に言いたかったのは、そんなことじゃなかったよ。
→それを言ったらこの子とはどうなってしまうの?嫌われたくないし、嫌いって認めたくないよね。じゃあ、好きでいなきゃ。
なんで認めてくれないの。こんなにやってるのに。
→それはあなたができないからだよ。それなのに表にだしちゃ、みっともないよ。
ほんとはこんなのしたくない。
→稼ぐにはしょうがないじゃない。お金があったらあなたの望みが叶えられるんだから。
つらい。休みたい。
→やるべきことはこーーんなにまだたくさん残ってる。時間がないの。休むのは悪いこと。怠惰な人はダメな人。もっとがんばって。
たくさんの雑音と偽りの自分に惑わされて、自分の本音を必死で気づかないところに押し込める。
気づいちゃったら、押し殺してきた思いが一気にあふれでてきて自分が壊れてしまいそうで怖かった。
気づいちゃったら、「できる自分、優等生の自分」が維持できなくなっちゃう気もした。それによって「価値のない自分」になってしまう気がした。
だから、自分の思いを隠すことは私の生存戦略のようなものだったといえる。
生き残るため。必死だった。
隠し通すため、自分を押し殺しておくために必要なもの。
それは、黄色の割引シールがついた菓子パン。
たくさんの量の食べ物。
「人間、食べてる間は死なねんだ~」
ばあちゃんが教えてくれたライフハック。
当時の自分は、どこが勘違いしながら、そうか!と思って食べ続けていた。
食べることで、なんとか死なないようにしていた。
心が瀕死状態だった。
毒のような甘さで毎日をごまかす。
そうでもしなければ、自分を保っていられない。
そしていつしか、胃袋がどんどん膨れ上がり、どこまでも伸びるように。
自分はたくさん食べることが好きなんだと勘違いし、余分に食べないと気がすまない体質になっていった。
ーーーーーーーーーー
今は、食べる量がだいぶ減った。
味が最近ようやくわかってきた気がする。
今までは、よほどのものでない限り、なんでもよかったし、おいしいと感じるような体質だった。
しかし今は、自分にも好みの味とかあまり好きじゃない味があることに気がついた。
たぶん、親が、
「食べ物の好き嫌い、人の好き嫌いはよくないこと」
って言ってたことが関係してるのだと思う。
人から、味まで、差別なく受け入れられるように。
それはある意味で正しいが、私は、嫌いな人も、嫌いな味も、嫌いなこともあっていいと思う。
嫌いだから傷つけるというのはおかしいけれど、自分を守るためにさっと離れるのは、大いにあっていいことだと思う。
こんな簡単なことさえ、限られた狭い世界にいると気がつくことができなかった。
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何が変わったのか?
それは私が「こうしなきゃ、こうじゃなきゃ絶対だめだ」と思い込んでいた世界を壊す決意をしたから。
親を中心に、学校で言われてきたこと、周りの友達が言ってたこと、それらでできていた小さな世界から出ていくことを決めた。
自分の思うように生きると決めた。
それだけ。
それだけで、味がわかるようになった。
それだけで、食べたい量、自分に必要な量がわかるようになった。
ほんと、それだけのこと。
それだけなんだけど、、。
SNSのプロフィール画像からみる、自己肯定度しんだん書。
いろんな人がいると思うけど、ここでは次の8つのタイプに分けて、勝手に自己肯定度を診断!
①自分の顔または上半身から上の写真
②自分の(ほぼ)全身の写真
③小さいころの写真
④友達や誰かと映っている写真
⑤キャラクターのイラストなど
⑥自分の功績や特別な何かをしていることや、特別などこかに行ったことがわかるような写真
⑦同性の芸能人の写真
⑧動物の写真
あくまで個人が持っている偏見のようなものなので、お手柔らかに。
あてはまらない人だってちゃんといると思います、人間だもの。
ただ、こんな傾向にあるんじゃないかな~、こんなことを言いたいんじゃないかな~ということを想像してみた。
(あと、男性よりも女性のほうがあてはまる人が多いかも)
それではスタート!
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①自分の顔または上半身から上の写真
自己肯定度70%
まぁまぁ自分が好き。
でも、好きになれない自分がいたり、見せたくない自分がいたり、あまり人に話したくない過去がある人もいる。
自信があるように周りには見られるが、MAXで自己肯定感があるわけでもない。
ある程度隠した自分は人に見せられるし、好きなところもあるけれど、なにも気を張っていない自分のことは人に見せたくない。
自分に似たイラストなどの画像もこのタイプ。
②自分の全身の写真
自己肯定度90%
ほどよく自尊心を持つ人。
ずっしりとした自信。
自分なりの世界観で生きている人が多い印象。
流行りよりも自分流が好き。
心が成熟してる人が多い。
③小さいころの写真
自己肯定度120%
自分が大好きでしょうがない。
いろいろな欠点も含め、そんなどうしようもない自分も愛することができる。
飾らなくても私は私で、これでいいと思っているところがある。
ゆるぎない自信。
愛情あふれた良い家庭環境で育った人が多い傾向にある。
④友達や誰かと映っている写真
自己肯定度50~65%
単純に、この人とこの前会いました~思い出です~ぐらいに思ってる人もいれば(そういう人はすぐに違うプロフィールが更新される)
自分のことは普通に好きだけれど、「自分が好きな自分」がいることは、あまり人に知られたくない。
人にどう思われているかけっこう気になる。
スッと自分を表現できる人に少し憧れがある。
という人もいる。
または、人との関係に信頼感が持てない人。
基本的に、友達といるのが好き。
周りからは、陽キャと判断されることが多い。
でも、自分には仲間がいる、と心から思えなくて、なにかでつなぎとめておきたくなる。
嫌われてるんじゃないか、親しいと思っているのは自分だけ…σ(^_^;)?とたまに不安になる人も中にはいるようだ。
⑤キャラクターのイラストなど
自己肯定度 まちまち
自分よりも、そのキャラクターが可愛すぎてしょうがない。
自分もそのキャラクターのようになりたい、周りにこういうキャラクターのように見てほしい。
キャラクターに自己投影してる。
あとは、自分の人格やイメージが邪魔になるような内容をSNSで投稿しているため、自分を隠したい人。
⑥自分の功績や特別な何かをしていること、特別などこかに行ったことがわかるような写真
自己肯定度 80%
自分はこれしたんですー!または、してるんですー!つっこんでー!褒めてー!私すごいでしょー!と言いたい。
とはいえ、自分は好きだけど、自分だけが思ってればいいわけじゃなくて、誰かの賞賛と注目はちゃんとほしい。
自分のことをもっと好きになってほしい。
自分だけが自分の味方でいればいい、自分がわかってあげてればいい、というわけではない。
自分で直接言うにはなんだか気が引けるけど、認めてほしい、褒めてほしい。
自分のことをもっと知ってほしくてしょうがない。
自分を表現したい。
このタイプの人には、積極的にプロフィールにつっこんで、興味を持ってあげると喜んでくれるでしょう。
⑦同性の芸能人など
自己肯定度 60%
これもキャラクターと同様、自己投影。
でもキャラクターの人はそれになりたいなぁくらいだけど、このタイプは、自分に足りないもの、欠けているものを補いたい欲が強い。
もっと、もっと…。
ほかの人と比べると、ちょっと自分を厳しく評価してるところがある。
美意識が高い人が多い。
⑧動物の写真
自己肯定度 まちまち
ちょっと世の中に疲れた。
癒されたい。
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※あくまで私が思った傾向です。
※ひとつだけじゃなくて、2つとか3つとか経験があるっていう人は、一番高い度合いのところで自己肯定感があると考えていいと思います。
おしまい。
べたべたと張り付いた世界
ただの紙を
「好きな物が買える紙」って誰かがきめたら、
ただの紙が、たちまち大切なものに変わった。
人は、イメージの中に生きている。
学歴、
ブランド、
仕事、
歴史、
作者、
身につけているもの。
溺れてしまいそうなくらい、それはそれはたくさん。
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世に溢れているメディアの情報だったり、まわりの人だったりが「それはいい、これはだめ」という。
これがたくさんの人に伝染していった結果、
知らず知らずのうちに自分の心にまで侵食してきてしまってできるもの、
それがイメージ。
記号みたいなもの。
人は、その人の、その物の「本当のところ」を見ているわけじゃない。
その人の、その物についてくるイメージで、判断している。
だから、高級ブランドを身にまといたくなるし、きれいな女優さんが使っている化粧品を使いたくなる。
まるで、イメージが作った虚構の世界で踊らされているようだ。
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そのイメージを利用しながら生きるのもよし。
「私は何も変えないわ。ありのままでいるの。みんなどうして私の本質を見てくれないんだろう。中身はこんなに素敵なのに」
って誰も振り向いてくれないことを嘆きながら生きるのもまたよし。
外側のイメージで判断され、あなたの「本当」を見てくれるのはごくごくわずかなのさ、悲しいことに。
それが現実なのだ。
社会でうまく生きていくためには、イメージを利用しない手はないし、私自身も利用し、利用されるときがたくさんある。
でも!だからといって!
そんなイメージだらけの、記号がべたべた張り付いただけの世界に負けるもんかって思うのだ。
イメージは、記号でしかない。
自分の目で見て、聞いて、触れて、イメージをできる限り排除して、ありのままを感じたい。
それは!一体なんなのか!!
本当に!私が見ている通りなのか!!
私は!本当は!どう思ったのか!!
純度の高い感覚で、世界に触れていたい。
汚いものにも、すてきなものにも。
しっかり目を開くのだ!!
冬は、あたたかな白。
都には雪が降らない。
はいた息が白くならないことが信じられず、私は「はーはーっ」と繰り返し空気に問いかけた。
いつからが冬かわからなくて、
どうやら私は秋に取り残されてしまったみたいだ。
行きどころのなくなった感情をぶら下げ、東京の冬を歩いた。
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私の故郷には雪が降る。
「冬がきた」という知らせが空から届く。
しんしんと積もって、まちの音を吸い込んでいく。
楽しさも悲しさも、やりたかったことも嫌だったことも、泣いても叫んでも、ぜんぶ雪に吸い込まれていく。
そして、しんとする。
すべてを真っ白に戻す。
もさもさと、盛っていたものたちに冬眠の合図を出す。
聞こえるのは、私の長靴が地面の雪をぎゅっと押し込む音だけ。
みんな家に籠る。
普段から人通りが少なかった道から、さらに人が消える。
窓から暖かい光がこぼれる。
なんだか「もういんだよ。これでおしまいにしよう。今はなにもしなくていいよ」と言われてるみたい。
私の心と体も冬眠を始める。
そんな冬が好きだった。
頭の中にあるうちは、なんだって傑作なんだ
「頭の中にあるうちは、なんだって傑作なんだって。お前はその中から出られないんだ」
「10点でも20点でも自分の中から出しなよ。そうしないと、点数さえつかないんだよ」
昨日見た映画『何者』のセリフが忘れられない。
その日ぼんやりと考えてたテーマだったから、余計、そうほんとに!!おっしゃるとーりですー!!って心の中で何度も頷いた。
人がすでにやったことをみて「自分だってできる」と思ったことはないだろうか。
恥ずかしい話、私はある。
でもそれは、「自分だって(本気だして時間とお金をかけて、環境を用意したら)できる」ってこと。
完全に妄想…笑
すでにそれをやってる人っていうのは、その(本気だして時間とお金をかけて、環境を用意)した人。
たとえ、ほんとに自分が同じくらいの能力を持ってたとしても、その人とは全然段階が違うのだ。
全然、同じじゃない。
「自分でもできる」って思ったままなにもしないって楽。
だって、実際にやってみたら本当はそんな甘くなくて、想像してなかったような壁がたくさんあって、「自分にはできない」可能性だってある。
そんな中、「自分でもやればできる、本気だせば」なんて妄想だけしてたら、現実の自分に絶望することなんてない。
でもそれってなんだか、「自分になる」「私になる」、ちゃんと生きるってことを放り出しているような気がする。
実際に踏み出してみたら、できなくて「自分ってこんなちっぽけだったんだぁぁぁ」って思うこともあるかもしれない。
そんな、ちっぽけで、前までは「できると思っていた」ばかで臆病だった自分もちゃんと受け入れたら、そこからが本当のスタートだ。
もう少し進んでみたら、思ってた通り、やっぱりできるかもしれない。
今年は、「自分でもできる」って思ってたこと、思ったことをちゃんと「自分もやる」年にしたい。
去年もたくさん挑戦したけど、まだまだ「自分もできる」って妄想が頭の中にあるから。
そして、10点でも20点でもいいから頭の中から出す。
頭から絞り出したものが、目もあてられないような恰好悪いものだったとしても、それが今の自分。
こんなんじゃ人に見せられない、まだだめーーって一歩目を踏み出せないでいるよりだったら、「今はこれくらいなんです私」とどんどん自分を、恥を、さらしていく(笑)。
恥かいてもいいや。ばかにされてもいいや。
進まないよりはましだ、ってね。
そういうスタンスの方が、もんもんとしたところから早く抜け出して、遠いところまでいけるんじゃないかなと思う。
それをみて笑う人がいたって、やる人とその人の結果をただ見てる人では全然違うんだぜ~って思っとくことにする。
できる可能性じゃなくて、このくらいできるんだ、じゃあここからどうしようかって考えるようなことがたくさんあったらいい。
妄想の自分と、現実の自分のギャップを埋めていく。
それはほんとに怖いことだし、楽ではないんだけど。
私はそれが、ちゃんと自分を生きるってことだと思うから。
いやぁ、今年もなかなか大変な年になりそうだ。
今週のお題「2019年の抱負」より
いとおしい言葉。
「いとおしい」
最近、付き合っている人がこの言葉で私に対する気持ちを形容するようになった。
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彼の名はkくん。
高校時代から付き合っていて、実質同棲中だ。
彼はおしゃべりだけど、言葉で伝えるのが得意なタイプではない。
といっても教養がないわけではないし、言葉は知っている。
ただ、そのときの気持ちにぴったりの言葉で表す術を得る機会に、そんなに恵まれてこなかったんだなっていう不器用さを感じるときがある。
だから私は、彼がいわんとしていることを言葉以外から全力で感じなきゃいけない。
そして、たまに「それは、こういうこと?」と言葉で彼が解放できるように手助けすることがある。
言葉にしないと伝わらないよっていうことを、よく聞く。
たしかに、言葉にしないとわからないことってたくさんある。
私も、彼の足りない言葉の意図がわからないときや考える余裕がないとき、誤解して(あるいは誤解と薄々気づいているけどちゃんとした言葉で伝えてほしくて)けんかになることがよくある。
できるだけ言葉で、選び抜いたその人だけの言葉で伝えてほしいと思う。
そういう本気の言葉たちが好き。
大好き。
言葉を操れる人を尊敬する。
でも、私たちは、母の愛情を言葉だけで感じていたのだろうか。
言葉にしなくても伝わることもある。
これも事実。
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「いとおしい」
最近、彼がこの言葉で私に対する気持ちを形容するようになった。
知ってるよ、前から。
伝わってたよ。
そうだよね、その触れ方は、その眼差しは、
いとおしいだよね。
ぴったりだよ。