こころもよう

ほぼヒモのフリーター日記

人間無雑

成長するにつれ、状況によってキャラクターを演じ分ける性質が出てくるということは一般的に言われている。(倫理で習う。)こないだ友達が言ったのを聞いて思い出した。


でも人ってそんなに完璧には演じきれない。その人の一面や二面くらいをみて、そういう人だと見なす人もいるけど。そうじゃない人には、たぶんちゃんと、本性はばれる。演じきれることなんてない。少なくとも、私にはばれている。私も誰かにばれていると思う。人間は基本的なところは同じだから、わからない人はいないはず。あなたの本当のところを見ようとしないせっかちな、もしくは臆病な人がいるだけ。


本質を知るには、その瞬間に出ているキャラクターの行動や雰囲気を見るんじゃなくて、もっと奥にある単純なところにずーっと目を離さず向けているといいかもしれない。


本性や本質ってなんだって話だけど、要は、心の奥で何をどう感じる人なのか(考えるのかじゃない。)ということだと今の時点では思っている。


人は多面的だからといって、その人が演じる様々なキャラクター全部がその人の本質だとは私は考えない。人が様々なキャラクターを抱えているのは、そういうものを演じたい性質や状況があるというだけで、演出するキャラクターとその人の本質はまた違うものだと考えている。演じるキャラクターは、どう自分が目的を達成するか、または問題を防ぐのかという手段にすぎなくて、どういう鎧を選ぶのかはそれぞれ個性が出るけど、その鎧が何色なのかが本質なわけじゃない。


あなたに本当の私の何がわかるんだと憤る人がいるかもしれない。私はそんなに単純な人間ではないんだと。確かに、あなたが誰を好きで、誰が嫌いで、何を怖がっているのかはわからない。でも、少し眺めることが許されれば、なぜ好きで、嫌いで、怖がっているのかはわかる。わかるというより、感じることができる。心の奥はみんな似ていて簡単な構造をしているから。私たちは人を、思考する複雑で崇高な生き物ととらえがちだけど、実は単純だ。何に怒るのか、何がうれしいのか、何をされると悲しいのか。みんな同じ。自分の奥のほうを見ることを忘れてしまった人は、私はみんなと違うところで喜んで、怒って、泣くんだというかもしれないけど。みんな同じだから。あなたは単純で柔くて脆くて愛しい生き物。


自分がそういうキャラクターになりきることがあるからといって、それが自分なんだと思い込み、知らないうちに自分を見失ってしまわないように気を付けたい。状況に適応して演じてしまうキャラクターに惑わされずに、しっかりと「本当のところ」を守っていかなきゃいけない。