こころもよう

ほぼヒモのフリーター日記

いい加減にしてくれ!!

自分が考えていることが絶対に正しいと思って譲れない人はいる。


「きっと、私にはわかっていなくて、これからも明らかになることのない事情があったり、私には考えも及ばない考えを持っていたりするのかもしれない」と、人に対して想像力を働かせて、自分の正しさを押し付けて相手に安易に影響を及ぼそうとしない大人になりたい。



なぜ私がバカなふりをして、相手の話のつじつまを合わせなければいけないのだろう。


なぜ私が他人のことが考えられない人ということになっているのだろう。

なんでいつも自分基準で、みんなが自分と同じように考えると思ってしまうんだろう。


疑問はあるが、私は大人だと言い聞かせて、その場を調和させるために、「私の考えが足りませんでした」と謝る。うける。うざい。



しかし、何も言わなければ私も濁ってしまいそうなので、一応言葉にして伝える。


私はこういう考えがあってやりました。
やんわり。遠回しに。


すると、相手は反抗されたことに苛立ち、さらにそれを隠そうとして顔が歪む。相手だって、私と喧嘩のようにはなりたくないのだ。一人で言いたいことを言って、さっと勝って終わりにしたかったのだ。



自分は年下よりも偉い存在で、相手が知らないことを知っていて、相手は自分よりも考えが甘い存在なのだと勝手に決めつけて説教を始めてしまう人にはならないようにしようと思う。


相手のための説教してるというが、自分がスッキリしたいだけだろ。自分が偉くてお前は下だと、上下を感じさせたいだけだろ。


たしかに、そうじゃない説教もあるけど言い方が違う。それはわかる。自分のために敢えて言ってくれてるのだと。



いい加減にしてくれ。
お前の想像力のなさや不手際を、「私が周りが見えていなくて、他人のことを考えていないから」ということにして正当化しないでくれ!
搾取しないでくれ!!


そう心の中で叫びながら、表面上は負けて見せる自分はとても器用で滑稽で、愛しいと思う。


えらい!!よくがんばった!!

人間無雑

成長するにつれ、状況によってキャラクターを演じ分ける性質が出てくるということは一般的に言われている。(倫理で習う。)こないだ友達が言ったのを聞いて思い出した。


でも人ってそんなに完璧には演じきれない。その人の一面や二面くらいをみて、そういう人だと見なす人もいるけど。そうじゃない人には、たぶんちゃんと、本性はばれる。演じきれることなんてない。少なくとも、私にはばれている。私も誰かにばれていると思う。人間は基本的なところは同じだから、わからない人はいないはず。あなたの本当のところを見ようとしないせっかちな、もしくは臆病な人がいるだけ。


本質を知るには、その瞬間に出ているキャラクターの行動や雰囲気を見るんじゃなくて、もっと奥にある単純なところにずーっと目を離さず向けているといいかもしれない。


本性や本質ってなんだって話だけど、要は、心の奥で何をどう感じる人なのか(考えるのかじゃない。)ということだと今の時点では思っている。


人は多面的だからといって、その人が演じる様々なキャラクター全部がその人の本質だとは私は考えない。人が様々なキャラクターを抱えているのは、そういうものを演じたい性質や状況があるというだけで、演出するキャラクターとその人の本質はまた違うものだと考えている。演じるキャラクターは、どう自分が目的を達成するか、または問題を防ぐのかという手段にすぎなくて、どういう鎧を選ぶのかはそれぞれ個性が出るけど、その鎧が何色なのかが本質なわけじゃない。


あなたに本当の私の何がわかるんだと憤る人がいるかもしれない。私はそんなに単純な人間ではないんだと。確かに、あなたが誰を好きで、誰が嫌いで、何を怖がっているのかはわからない。でも、少し眺めることが許されれば、なぜ好きで、嫌いで、怖がっているのかはわかる。わかるというより、感じることができる。心の奥はみんな似ていて簡単な構造をしているから。私たちは人を、思考する複雑で崇高な生き物ととらえがちだけど、実は単純だ。何に怒るのか、何がうれしいのか、何をされると悲しいのか。みんな同じ。自分の奥のほうを見ることを忘れてしまった人は、私はみんなと違うところで喜んで、怒って、泣くんだというかもしれないけど。みんな同じだから。あなたは単純で柔くて脆くて愛しい生き物。


自分がそういうキャラクターになりきることがあるからといって、それが自分なんだと思い込み、知らないうちに自分を見失ってしまわないように気を付けたい。状況に適応して演じてしまうキャラクターに惑わされずに、しっかりと「本当のところ」を守っていかなきゃいけない。

影?屍?それともなぁに

人に勝ったって、あなたは結局あなたを愛せない。
自分を許すことができない。


私に勝ったところでそれはおんなじ。
















大きくなりすぎてしまったあなたの虚像がゆらゆらと蠢いているだけ。





笑っちゃう。





「なにやら」を必死で叫んでるみたいだけど、あなたの言葉は一語もワカラナイ。





笑っちゃう。










私はいなくなったあなたを目の前にして、意味もない言葉を並べて応答してあげる。




可笑しいでしょ?












この言葉は誰に向かって




































おーーーい!

























今、私の目の前にいるあなたは誰ですかーー!?















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人間脱落

「辞めることにしました。もっと休みたいな~遊びたいな~と思ったからです!ーー」


返信する隙を与えずに、30人程いたラインのグループを退会した。




爽快。




卒業する頃には、半分くらいの人数になってるよと聞いていた。




最初の脱落者は、私。



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春から新しいことを学びに、スクールに通っていた。


始めたきっかけは、なんとなく頭に浮かんで、気になって、気になったからには、どこかに行き着く流れなんじゃないかと思ったこと。


そして、それはずいぶん前から憧れていたものに近づけるような「大したスキル」であったこと。





ただなんとなく、やってて面白くない。


好きっぽいのになんでだろ?


いやでも、初めてでなんもわかんないから、わかってくうちに面白くなっていくんじゃないか?



そして、経過ーー



だんだんわかるようになったけど、まだ面白くない…


半年経ち、自分の奥に潜んでたものの影をつかみ始めていた。



で、やっと、わかった。


ああ私、これ、ほんとはやりたいことじゃないや。


好きって思いたかっただけなんだ。と


じゃあなんで好きって思い込まなければならなかったのか。


それは私の恐怖心が元凶だった。




本当の望み通りに生きたら、苦しいんじゃないか?



家族にも、親戚にも見放されて、周りに見下されて、みじめな生活を送ることになるんじゃないか?



私は、本当にしたいようにすることで、不幸になるんじゃないのか?



そんな暗い前提が私の中にあったのだ。



そのシナリオを回避しなければと、私は必死に自分が納得できるような形の提案を、自分の頭にしてきたのだとわかった。



「好きなことだったら、したいんだろ?やるんだろ?」


「じゃあこれを好きだと思いこんじゃえば、世間的にもまあまあかっこはつくし、最悪の事態になって、泥まみれになる心配もないんじゃないの」と。



灰色の血を、脳に送っていたのだ。


濁りきって自分が見えなくなる前に、救いだせてよかった。




自分が何を見たくなくて、自分に嘘をついたのか、叫びながら自分を抉ってみる。



えぐる。すごい言葉だ。えぐる。



血が残る生肉の塊に、ずぼずぼと差し込んでかき回すような。そんな生臭いかんじ。



違和感を感じたら、痛むまま抉る。




この、自分以外の誰にも見えない、とてつもなく痛い行程が、人間に赤い血を通わせていくのだろう。


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高熱が続いた。病院に行っても原因がわからないと言われた。

今までの毒を吐き出してるかのようだった。


どんな言葉で辞めようか迷ったあげく、この人たちには取り繕わず、どうしようもないやつって呆れちゃうくらいの言葉で去るのがぴったりだと思った。


「辞めることにしました。もっと休みたいな~遊びたいな~と思ったからです!」


さらり。



「もっと遊びたいから」なんて、みっともないかんじがいい。


その人たちと交流してる時間は心の底から笑ったし、とても好きになったけど、


さようなら。



「またどこかでご縁があったらすてきですね!」


さらりさらり。



100万ともさようなら。




この社会で濁らずに生きていくには、血生臭くなるほどじゃないといけない。




っていうことは、涼やかな笑みを浮かべるあの人ほど、抉っているのかもしれないね。



えぐる。すごい言葉だ。



抉って、鮮やかな赤い血を流せ。




そして今日も私は、さらりと。







いっちぬーけた!!!

怒り、嘆き、寂しがり。

私がいつも使っている茶碗が割れた。


…縁起が悪い?


ちがうちがう、これは偶然じゃない。


私が茶碗を床に打ち付けるように投げたからなんだ。


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人間が持つ感情には、たくさんの種類があると思う。


喜怒哀楽という言葉があるけど、その間にあるような微妙な感情もカウントしたら、無限に近いくらいあるんじゃないの。


嬉しい、悲しい、寂しい、楽しい。




そしてふと思った。


「怒り」って感情なのかな?


怒りは、感情というより、反応じゃないか?


怒りが感情なんじゃなくて、怒りの、その裏にあるのが本当に感じていることなんじゃないか。


怒っているその奥深くでは、



寂しい、悲しくなるからしないで。

私を傷つけないで。

ぞんざいに扱わないで。

自分ができないやつだと認めたくない。

あの人が羨ましい。

私は本当はあんな風に振る舞いたいけど私にはできない。

不安だ。怖い。


こんなふうに思ってたり…。



怒りって、それ自体が本当に思うところというわけではなくて、自分を守るための心の反応な気がする。


怒らないと自分が傷ついてしまうから、怒って、相手や出来事を悪く思うことで、自分の心を守ろうとする。


だから、怒りの根本的な原因は、私の中にある。


怒る出来事の原因や責任があるという意味ではなく、怒りは自分のなにかに反応して沸いてきたものだということ。




あなたが最近怒りを感じた出来事はなんだろうか。


怒りの奥に、
あなたがあなたを守ろうと、
あなたに隠しておきたかった気持ち。

いらない。

みんな私の「ために」心配してくれ、私の「ために」求めてもいないアドバイスをしてくれる。

そこで、「そんな手があったか!」というような面白いアドバイスがあるならいいけど、大抵は、もうそれ考えたんだよな、考えた上で、やるやらないを決めたのになってことばかりでつまらない。


そんなに考えてない人間に見えるのか。
そんなに、「自分より思慮が足りてないやつ」に見えるのか。


もう黙ってくれ。


そもそも思ったことを成し遂げるとか、上に行くこと優先してるわけじゃないから、生きてる趣旨があなたと違う。どっちがいい悪いじゃなく。


あなたより、私の方が私について考えているのは、当たり前じゃない?あなたのことは知らんし。


もう、お願いだから、いっぺん通りのあなたの面白味もない人生観を私に押し付けないでくれないか。

そんなもの、軽く流して終わりだよ。


だからそろそろ、あなたが本当には何を思っていたのかを話してよ。



顔に書いてあるけどね。

ただ、わたしが「ある」。だけ

努力をすることとか、苦労してつかんだ成功とか、顔の造形とか。

世ではいいとされてるものでも、また、他の、自分がいいと思ってるものでさえも、本当は何でもないのかもしれない。

これはまあ、世間的にもある一定数見られる考え方。

でも、ガツガツしたものだけじゃなくて

愛とか情とか自由とかもだとしたら。


私がいいと思ってるものでさえ、私たちは本当は、本当に奥の奥まで見てみたら、いいも悪いも何にもないんじゃないか。本物なんて、ないんじゃないか?
全部そこにあって、全部ないようなものなんじゃないか?


裏切ることも、嘘をつくことも。

本当の本当に正しいことも、人にこれは絶対にだめだよと言えるほど、私はわからない。

そりゃ人の世で生きていくには、ある程度ルールはあるけれど。

すべては、「ただ、そうであるだけ」な気がする。


本物があるわけじゃなく、自分が何を本物と見なすか決めているような。


本当の意味で、私を縛れるものは何もなく、私をこの世に引き留めるものもなにもないのか。


さみしいな


そんな心持ち、午前0時。