こころもよう

ほぼヒモのフリーター日記

淀み、濁り、滞り。

流れを整えて、流れにのる。

そういうふうに生活していきたい。

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最近、とても繊細に敏感に、目に見えない流れやエネルギーのようなものがわかるようになってきたなと感じる。研ぎ澄まされてきた。


決して私が特別だからというわけじゃなく、これを感じとる力はだれにでも備わっているものだと思う。


なんかやだな、なんかいいな、って。そんなかんじで簡単だけど、正確に。


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この間、私の住んでる部屋で、なにかがおかしいと感じた。エネルギーが滞っているかんじ。流れていってないというか…

気持ち悪い、吐き気に近い感覚。


一緒に住んでるKくんも、その日はなんだか元気がなくて、波長もずれている感じで、会話してるのに全然心が通わない。いつもの、同じテンポで暮らせているという感じがなかった。


どうにかしないとと思ったけど、なにが原因かいまいちつかめない。


この家は溜まり過ぎているという感覚だけがなんとなくあって、気持ち悪さから逃れようと、何もかもを家からなくしたくなった。


あれもいらない、これもいらない。ここにあってはいけない。


そんな感じで半ばパニックになりながら、必需品以外は家から出した。


それでも足りない。もう全部なくしてしまいたかった。


でもKくんにそれ以上したらやりすぎだと止められ、泣きながら、やっとベッドに行く。


すると今度は頭が痛くなり、Kくんも喉が痛い、鼻づまりで息が苦しいと言っていて


「なんとなく」という気持ちが確信に変わった。やっぱり、悪いものがこの家で滞っているんだなと。


そしてふと、今朝、お風呂場の水が流れていかなかったことを思い出した。


それだと思ったがその日はとりあえず眠った。


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翌朝、昨晩の気持ち悪さがなくなっていた。今日は昨日と違うぞ。気持ちがいい。


Kくんが、お風呂の水がちゃんと流れるようにしていてくれていたのだった。


やはり、流れるべきところが塞がっていると、見えないエネルギーの流れの方まで、塞がってしまうんだなと思った。


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そして今日。

叔母に連れていかれた烏杜神社にて。


私の母は癌の治療をしているが、そこは癌封じの御守りがあって、それで治ったという人がいることで有名らしく、叔母は私に

その御守りを母にあげたら喜ぶんじゃない?

と勧めてきた。


だけど私はなんだか気が進まなかった。「ウッ」と喉が苦しくなるような感じがする。


叔母の言う通り、私がこれをあげたら絶対に母は喜ぶだろう。

それに、ここで買っていかなかったら、母のことを思いやっていないみたいじゃないか。

メリットがあるはずなのに、なんだかどうしても買う気が起きなくて。


そしたらふと、願い事を書くスペースがあったことを思いだし、そのための紙を買って、健康を祈願しようと思い列に並んだ。その御守りを買うかわりにしようと。


それはどうやらおみくじをひいてから願いを書くものだったらしく、私は健康に関するおみくじをひくことにした。


ふってから取り出してくださいと言われたので、適当に振り、しゃかしゃかしゃか。


巫女さんが番号を見てくれて確認してもらうと、それまで落ち着いていた巫女さんのお顔がぱあっと変わり、「超大吉です!これに当たったあなたは、とても強運です」と言う。


よくわからないまま、いろいろなお菓子や、御守りなどを受け取った。


そして、大切な人たちの心と体が健康で自由にあれますようにと願い、紙に書いて結びつけてきた。


もらったものはおすそわけして、福を分けようと思う。


やはり、ちゃんと感覚に従うことって大事なんだなと思った。


この前のことも、今日のことも、なんだかな…と思った感覚を大事にして、「ふと」思ったように動いたから、ちゃんと流れにのれたんだと。


ということで、条件はまぁまぁいいが心がざわついた家庭教師のバイトの依頼は断ることにした。


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自分をとりまくエネルギーの流れにのること。

第六感が働くようにしておくこと。

あるがままの流れを塞き止めないこと。

それが大切なんだなあ。



そのために、日々、自分を濁らせないように生きよう。

よくないものを溜めこまないようにして。


見える物も、見えない物も、どっちも。心に散らかしておかない。


さっき言ったように、最近敏感になっているので、その場所や人の状態が私の心と体にとてもよく響く。


今日も超大吉とやらを引き寄せたし、純度が高まってきているのだろう。




いろんなものを心に溜めこんでいる人は、この感覚が働かなくなっていく。


自分が流れに逆らっていたり、エネルギーがどん詰まりであったりすることに気づけない。


そういう人は、いろいろなエネルギーが詰まりすぎて淀んだ色をしている。


側にいるとこちらまで緊張してこわばってくるし、とても居心地が悪い。


これは決してその人が愛想がないからとか、不幸っぽいからとか、性格がきついからとかではないのだ。


笑顔でいたって、幸せそうだって、おしゃれをしていたって関係ない。


そして、状況によってそうなっている人ならまだいいけど、なかには本当に小さなころから溜め込んで溜め込んで、濁りに濁りまくって、その濁りが自分の旨味だと(お茶のcmではない)思っている強者もいる。




濁らせないためには、隠しておきたかった、聞きたくなかった自分の声にもちゃんと心を向けること。



それがどんなに途方にくれるような憧れだったとしても、汚い欲だったとしても、醜い自分が露になってしまうような恥ずかしい思いだったとしても。



自分を濁らせないためには、そうやってきちんと向き合ってから消化して、流していかないといけないのだ。



そうすると軽くなって、自分がたどり着くべきところへの流れにのれるんじゃないだろうか。



大事なものがなんなのか、目を凝らして耳をすませる。



ちゃんと生きよう。